まさおの旅紀行
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大垣市圓興寺散策
(西美濃古刹&源氏ゆかりの里)
撮影:2022.11.19
天台宗 篠尾山 圓興寺・・・
西美濃三十三霊場第三十二番札所である、円興寺(えんこうじ)は、観音札所の大小の幟籏で華やぐ寺院である。本堂へは石段で登る境内があり、 庫裏へは下境内から門をくぐり南天が赤い実を誇り、水音の聞こえる境内で不動明王地蔵菩薩の祠が建っている。 又、裏の杉林の緑は明るく日を受けている。 岐阜県大垣市にある天台宗の寺院である。山号は篠尾山。本尊は木造聖観音菩薩立像(国の重要文化財)。 かつては山頂に存在していた。旧円興寺跡地には礎石が残り、源朝長の墓、源義朝、源義平の供養塔などが残る。 現在の円興寺には源朝長の位牌や関わる遺品がある。

 源氏ゆかりの里青墓
源 義朝・朝長父子の墓:平安時代末期の天皇と上皇の政治の実権を巡る対立は、藤原氏と武士の源氏・平氏を巻き込んだ保元・平治の乱と成りました。 美濃国内には、それにまつわる史実や伝説が多く、ことに中世青墓宿・墨俣宿周辺には、源氏の因縁の深い地として多くの悲哀を秘めています。 『平治物語』によると、平治元年(1159)の12月27日、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝は、長男義平・次男朝長・三男頼朝等わずか8騎で 東国をめざして都からのがれてきました。不破の関を避け、義朝一行は吹雪の伊吹山麓を超え、馬も鎧も捨てて13歳の頼朝の姿さえ見失う苦労の末に、 ようやく美濃国不破郡青墓宿(現大垣市青墓町)にたどり着きました。・・・(中略)苦戦中義頼は源氏の再興を目指しますが、わずか16歳の朝長は 重傷を負いこの地で相果て、圓興寺山中に葬られました。その後、義頼は尾張国で謀り殺され非業の最後を遂げたのです。悲惨な源氏の再興は、 頼朝が伊豆で挙兵し開府するまで雌伏の歳月を要することと成ります。(青墓文化遺産資料より記載)
西美濃三十三霊場 「圓興寺」へLINK
 


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